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HINAKAです。
多足様
いささか主題が逸れますので、別スレッドにしますが、基本的なネット・マナーとして「掲示板等へ、他所のURLを直接載せるべきではない」というのがあったと、理解しているのですが?違うのでしょうか!?
いわゆる、直リンクは禁止というヤツです。 厳しいところだと、自分のサイトを持っていないと、全文か要約の引用しか方法が無くなります。逆に本人のサイトを持っている限りは〈基本的に、そのサイト経由で、飛ぶ飛ばないの判断が出来るようにしておく(内容説明とかして)〉のだと、思っていましたが?
リンク・フリーというのは飽くまでも、自分のサイトへの直リンクは御自由にという意味で、どんなリンクもOKという意味ではないと思います。
という訳で、基本的に他のリンクへの御招待は、自分のサイトへのワン・クッション置いてから、というのが個人的な基本マナーです。 もちろん、リンク内の内容は説明付きで。ただし、自分のサイトを持っていない方は、それでも構わないという場所では、直リンクでの紹介も有りだと思っておりましたが、違うのでしょうか?
と言う事で、デグチャレフ記事の詳細、ただし英文サイトです。 を、以下に紹介させていただきます。この解説によると、デグチャレフの半自動排莢システムは、銃床が固定されていないと、作動しないようです。
URL・*ttp://www.ww2aircraft.net/forum/ww2-general/antitank-rifles-mgs-1930-1945-a-7069-2.html (先頭のhは、削除しておきます)
それでシモノフの日本人への浸透率は、まぁアンケートでも取らないと分かりませんので、置いておくと言う事でお許し下さい。ただ、ネット内検索でのデグチャレフの記述の少なさは、圧倒的だと思います。 問題は、シモノフもデグチャレフも、同じ1941年正式採用となっていますが、これにはかなり疑問があるようです。実際には、1939年の段階でデグチャレフは支給されていたという記録があるらしいので、圧倒的にこちらの方が先に完成し、量産されていたのでは無いか? シモノフ技術将校は、かなり上への影響力の有る人物で、デグチャレフ軍曹は冷遇されていた……その為、同時に開発を依頼されながら、実用的な銃はデグチャレフの方が、現行のライフルの機構を応用した簡素で、扱いやすいものを、先に完成した。 同時に、その銃を参考に「上の意見を採り入れて」連発式にする事で、評価を得ようとしたシモノフがPTRSを完成させた。それが、1941年だった。
当然、それから量産に入っても、機構が複雑な方が製造ペースが遅く、製造数はデグチャレフの方が圧倒的だった。 しかも、シモノフは寒冷地(ロシア全土?)での、自動装填機能の障害が多く、前線では兵士に嫌われ、元々数も少ない事から、上官仕様という形で階級上位者が使用する事になった。 この点や、シモノフの技術将校の立ち回りのうまさから、旧ソ連製の対戦車ライフルはシモノフという名前だけが、広まったのではないか?という説があるそうです。
真偽のほどは、確かめようがありませんが、シモノフ製の銃器はそれからも色々と登場しますが、正確にデグチャレフ製とされた銃器は、この対戦車ライフルだけらしいのです。 なおデグチャレフ(もちろんシモノフの可能性も、あります)の狙撃性能は、朝鮮戦争時に1,800メートルという記録があるそうです。 これも真偽のほどは不明の、伝説ですが……。
と言う事で、今回は失礼致します。
.. 2009年11月11日 03:58 No.619001
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