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HINAKAです。
多足様
また「革命」論議を蒸し返すのか!?と、言われそうなので、恐縮なのですが……。 原点は、「失敗した革命家を、テロリストと言う」点にあったのです。つまり、「緩やかな革命」というものは形容詞的には存在しても、名詞としては普通使わない。
軍事・兵力に頼る頼らないを別にして、短期間でドラスッチックに変革して、始めて「革命」と呼べる要素が生まれる(その発芽までの経緯は、別にして……)。 そしてここが肝心なのですが、一般的に政治(統治)的な「革命」は《当事者が称して始めて有効?》かな……という事です。あるいは、後の歴史判断的な判断による、第三者的評価で決まる。
最初に、「革命」という言葉の響きの良さから、使いたがる傾向があるみたいな事を言いました。 「産業革命」とはまさしく、イギリスが言い出したものだと聞いています。ところが、最近では「産業革命と呼べるものはなかった」何て話が出て来る訳で、甚だ曖昧な言葉だと思います。
ただ、実を言うと多足様の最初の定義で、少なくとも政治・統治機能しての「革命」という言葉は、定義されて終わったものだと思いました。 つまり、その国の政治機構や実行者がどう変わろうと、政体の主権と形態の在り方が同じ(実質形骸化していても)である以上は、如何に当時の枠組みを超えた超法規的行為や政権奪取も「革命」ではなく、手の平の上の権力闘争「クーデター(下克上)」に過ぎない。 という解釈で、良いのではないかと。
少なくとも「革命」と称する以上は、その国にとって空前絶後の、それまでの政治形態や統治体制とは隔絶した、まったく異なる政治形態や統治体制を構築した場合を、指すのだと思います。 ただ結果として、税収の方法や地方統治の方法が、過去の手法の形式を踏襲するのは、やむを得ない事かと思います。 最大のポイントは、最初に実権を握った者でなく、実質的な主権者の後継者の選考方法が、それ以前とまったく異なれば、「革命」を称してもおかしく無いとは思います。
.. 2009年09月15日 19:02 No.594001
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