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HINAKAです。
こう言うのを、横レスとかそのものズバリ、横槍とか言うのでしょうか? もしそうなら、お許し下さい。なお聞きかじりですが、「横槍」とは戦国時代までは、有効な戦術として知られていたそうですが、いつの間にか割り込むという「悪いイメージ」の、言葉になったそうです。 閑話休題。
第2次大戦後に独立した植民地の事ですが、以前から大変不思議に思っている事があります。 とにかく、元植民地が続々と独立するのですが、日本など敗戦国の植民地は自動的に開放され、同時に近隣とはもめ事を起こしたり、内乱状態になったりしています。 戦勝国の植民地ですが、ほとんどがイギリスがインドにしたように、「独立したいなら勝手にしなさい」と放り出すか。 もしくは、「ぜったに独立なんか認めるものか!」と戦勝国の勢いで、反独立戦争を挑み互いに散々な目に遭って、最後は宗主国が「ふんッ!」とばかりに引き上げる、これフランスが代表格です。
ところが東南アジアを中心に、広くあるいは効率よく貿易拠点を押さえていたオランダ(この国名を使用しているのは、日本だけです。日本で正式には、ネーデルランド共和国)だけは、インフラの整備からそれを維持する人材を教育する手段など、その他モロモロ選挙のやり方から、議会運営まで器も中身も全て整えてから、静かに順番に手を引いて行きました。 さらに、旧植民地からの救援要請にはことごとく応え、自国の分を後回しにしても、他国へも援助を頼んだというのです!(チョッと、信じられませんが……その後、独立した元植民地がどこも宗主国を恨んでいないという、事実があります)
その結果、次の格言が生まれました。 オランダの国技とも言うべき、サッカーは当然旧植民地にも広まっています。そのワールド・カップで、「元植民地は当然自国を応援します。そして自国が負けると、自分達の属する地域の生き残りを、応援します。そして、全てが敗退した後には、当然のようにオランダを応援する!」と言うのです!!
正直、これほど見事に元世界的植民地国家でありながら、第2次大戦後その規模は本来の自国領に限られるという、大変なリスクを背負いながらも見事に各植民地を自立させた。 こんな国が、あったんですねェ〜。勿論メリットはありました!何しろ自国が開拓地域の産業ですから、植民地政策か外交貿易政策かの違いであって、そのまま取り引きできれば、自国の経済は一時の窮乏を凌げば、必ず立ち直れるという、欧州随一の商人根性と計算!?の、故だそうです。
そして、さりげなくベネルクス同盟に参加し、ECCからECの結成に奔走していながら、EUへと拡大する時点で、これも静かに大きな顔をする大国(イギリス・フランス・統一ドイツ)に、その主導権を譲りました。 ですが、未だにこの国の外向的経済的発言力や交渉が、大きな影響力を持っている事は、海外ニュース等で御存じの通りです。
こんな国もあったという事が、何だか嬉しくなります。 なおネーデルランド共和国という名前ですが、御承知の通りオランダは王制で、王宮へ毎朝自転車で出勤する王様がいる事でも有名です(王妃様は、スーパーでお買い物をします)。 個人的にはこの辺で、共和制VS王制?じゃなかたっけ!?と、混乱はしています。
今回は、これだけです。
.. 2009年04月10日 14:16 No.486001
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