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HINAKAです。
多足様
またしても安易な、敵前逃亡と思われるのは不本意なので、仕切り直しです。
「信仰」 人や物、事象を問わず、あらゆる事柄に対し、畏怖と畏敬の念を持って、その対象に向かい自分の能力を超えた事象を願ったり、祈ったりする事。 その力を、何等かの方法で事物に代えたとして、「これを使えば、この場に来たの同じ効力がある」とその場周辺で、商売が始まる事は在っても、基本的にそれを広めたり強制したりする事は、無いというのが前提。 信者は単純に、その事象の人知を超えた力を信じるのみで、その力を得る方法は人により様々。これを、集めて体系化し、文章化すると宗教として「教義」の前提ができる。
「宗教」 在る特定の事象に畏怖と畏敬の念を持ち、その力を得るための手段を、体系化して文言としてまとめる。 まとめられた文言を「教義」として、別の場所で教え広め、その事象や教義に関心がなかった人々をも、信者として取り込み、その態勢を組織化する事。 当初、学問や信仰との境が曖昧な場合には、宗教とは呼べない。ただ、その教義の元になった事象から、教義を編み出して、その事象や教義に興味関心の無かった人々に教え広める事を、宗教化と呼ぶ。
宗教の特徴は、必ずその教義の元となった文言を口にしたり、行ってみせた発端者が存在する。 その発端者の意志とは無関係に、その集められ編み出された教義をもって、その周辺にいた人々がそれを畏怖と畏敬の対象として、教え広める点にある。この時、「信じる者は救われ、反する者は救われない」と現世利益を説き、その代償あるいは信じる証としての、物品供与を受ければ、完全に「宗教団体」として成り立つ。 さらに団体内を体系化し、発端者の意志とは無関係に、当事者を頂点に組織されれば、完全な宗教組織と呼べる。
別の言い方で「信仰とは個人の内面に存在し」、「宗教とは個人の外に集団として存在する」とも言われている。
辞書的に、個人的な考えを簡略化すると、こんな感じになりますが、おわかりいただけますか?
それではまた、当面自粛します。
.. 2008年12月20日 19:02 No.419001
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