|
自粛中の、HINAKAです。
多足様。
たぶん御承知の上で、それ以上の問題を話題にされているのでは無いかと思いますので、単に確認の為に〈辞書的な〉見解を。
宗教と信仰の違いは、単純明快に言えば、「教義(その教えの目的と遂行する為の手段等)があり教え広める(布教して、信者もしくは信徒を集める)事を目的とし、教えに従うと御利益(これで〈ごりやく〉と読むとは、ちょと驚きです。単純に、心身上の事も含めて、利益がある事です)があり、従わないと罰が当たる(バツもバチもも、同じ漢字とは!)と説き、結果的に組織化した上で、その組織維持の為にも、金品を徴収する」のが、宗教だと考えていいと思います。
信仰は、「〈鰯の頭も、信心次第!〉に代表されるように、特に人や物でなくても、空気でも水でも、通常は人間が逆らえない火山や、人間を寄せ付けない険しい山や、荒れた海。広い湖など、自然に存在するモノ及び存在すると考えられるモノに対して、畏敬の念を持ち敬意を払い、崇めて軽んじない事」これには、必ずしも人間や組織を必要とはしません。当然ですが、統一した教義などは、もちろん存在しません。 ただ、崇めて逆らわず希望を願い、成就すれば喜ぶ事で、いわゆる自然神崇拝もしくは超自然現象から、神を擬人化して名前を付け、それの姿を具現化した彫像や絵画、場合によっては抽象的なデザインを、その代表として崇める行為の事。
信仰の対象を具現化し、その「教え」を広めた時点で、「宗教化」します。 日本の八百万の神も、ギリシア神話も、北欧神話も、全て多神教であり純粋な意味での多神教は、本来「信仰」がほとんです。ただ、古代エジプト王朝に見られるように、時の権力者(武力か、知力か、カリスマ性かは別として)がその神話信仰を利用し、「教典化」し神々に序列を設け、自分の配下に教え広めさせ逆らう者には「罰」を与えると「政治的宗教」となり、いわゆる「祭政一致」の古代宗教国家の誕生へと続きます。
問題は「教祖様」や「修験者」、「修道者」や「予言者」、果ては「英雄」や「学問を興した人」等の、実在の人物。 この人達の、言う事や行いに感動し、崇拝するだけならば、信仰団体とか学問的集まりですが、当事者に関係なく、周囲がこの教えを広めたり強制したりすると、「宗教化」します。 仏陀の「仏教」や孔子の「儒教」が、分かりやすいでしょう。この2者の共通点は、当事者である先生達は悟りを求める修道者であったり、学問を究める研究者に過ぎないので、もちろん自分の利益などは考えてませんし(たぶん)、他人に強制するつもりもありません。いわんや、自分の考えに反対したからと言って、それが悪い事などとは、思っていません。もちろん、他者に事の善悪を尋ねられば、自分が極めている道から導き出される答えを、述べるだけです。
(続く)
.. 2008年12月19日 18:05 No.418001
|