返信


■--宗教と信仰の違いですけど……。
++ HINAKA          

自粛中の、HINAKAです。

多足様。

たぶん御承知の上で、それ以上の問題を話題にされているのでは無いかと思いますので、単に確認の為に〈辞書的な〉見解を。

宗教と信仰の違いは、単純明快に言えば、「教義(その教えの目的と遂行する為の手段等)があり教え広める(布教して、信者もしくは信徒を集める)事を目的とし、教えに従うと御利益(これで〈ごりやく〉と読むとは、ちょと驚きです。単純に、心身上の事も含めて、利益がある事です)があり、従わないと罰が当たる(バツもバチもも、同じ漢字とは!)と説き、結果的に組織化した上で、その組織維持の為にも、金品を徴収する」のが、宗教だと考えていいと思います。

信仰は、「〈鰯の頭も、信心次第!〉に代表されるように、特に人や物でなくても、空気でも水でも、通常は人間が逆らえない火山や、人間を寄せ付けない険しい山や、荒れた海。広い湖など、自然に存在するモノ及び存在すると考えられるモノに対して、畏敬の念を持ち敬意を払い、崇めて軽んじない事」これには、必ずしも人間や組織を必要とはしません。当然ですが、統一した教義などは、もちろん存在しません。
ただ、崇めて逆らわず希望を願い、成就すれば喜ぶ事で、いわゆる自然神崇拝もしくは超自然現象から、神を擬人化して名前を付け、それの姿を具現化した彫像や絵画、場合によっては抽象的なデザインを、その代表として崇める行為の事。

信仰の対象を具現化し、その「教え」を広めた時点で、「宗教化」します。
日本の八百万の神も、ギリシア神話も、北欧神話も、全て多神教であり純粋な意味での多神教は、本来「信仰」がほとんです。ただ、古代エジプト王朝に見られるように、時の権力者(武力か、知力か、カリスマ性かは別として)がその神話信仰を利用し、「教典化」し神々に序列を設け、自分の配下に教え広めさせ逆らう者には「罰」を与えると「政治的宗教」となり、いわゆる「祭政一致」の古代宗教国家の誕生へと続きます。

問題は「教祖様」や「修験者」、「修道者」や「予言者」、果ては「英雄」や「学問を興した人」等の、実在の人物。
この人達の、言う事や行いに感動し、崇拝するだけならば、信仰団体とか学問的集まりですが、当事者に関係なく、周囲がこの教えを広めたり強制したりすると、「宗教化」します。
仏陀の「仏教」や孔子の「儒教」が、分かりやすいでしょう。この2者の共通点は、当事者である先生達は悟りを求める修道者であったり、学問を究める研究者に過ぎないので、もちろん自分の利益などは考えてませんし(たぶん)、他人に強制するつもりもありません。いわんや、自分の考えに反対したからと言って、それが悪い事などとは、思っていません。もちろん、他者に事の善悪を尋ねられば、自分が極めている道から導き出される答えを、述べるだけです。

(続く)
.. 2008年12月19日 18:05   No.418001

++ HINAKA       
(続き)

問題は、教団化したその弟子達が、その先生の文言を必死で記録あるいは記憶し、後に文章化した為に、それが教典となる事です。
こうなると、完全に「宗教」です。
実はキリストの、イエスもまたそういう意味では、当時の宗教だったユダヤ教に疑問を持ち、独自の考えを極めた先生であり、新約聖書はその文言や行為を、弟子が書き留めたモノが中心です。
ただ、この元がユダヤ教というのがクセモノで、世界的にも珍しい1信教であり、偶像崇拝(神が1人?なのだから、何かと比べる為に具現化する必要はない)を否定し、神の教えを伝える者「救う者=メシア」に従えば良し、従わねば滅びる。という、極端に恫喝的な教えで、これは自然環境が厳しく、大半が遊牧生活をしていた現在の中央アジアから、アラビア半島を中心とした北アフリカ一帯の、環境が背景にあるとも言われています。
このような環境では、一族の団結を計る為には族長の指示が絶対だ!という事を裏付ける、宗教思想だと言われています(セム語族系、1信教)。

ユダヤ教→キリスト教→イスラム教が、実は根が同じでそれぞれ前の宗教に対する、新興の宗教だったのは、その発生に原因があるようです。
このタイプは世界文化人類史的に大変珍しく、当然ですが古代の多神教大帝国ローマと、対立する事になります。多神教であり、他民族であり、現在から見ても極めて民主的だった古代ローマは、ローマ人とは人種ではななく「ローマ市民権」を持った人々の事で、もちろん何を信仰しようと自由でした。

では、なぜキリスト教と対立したか、現在理由は2つ在ると考えられます。
その1つは、教義の問題で「唯一神」のみを崇拝するキリスト教にとって、ローマ皇帝を中心に広がる支配体系は、認められなかった事。ただし、この程度の問題では、ローマは揺るぎもしなかったと、言われています。
もう一つの決定的な問題は、ユダヤ教とキリスト教の最大の違いは、その現世利益享受を神が認めているか否かです。ユダヤ教は、自分の信仰に対する神の恩寵の現れとして、「利益得る」事は良い事でその利益を守るために、時の権力者に「納税」という形で利益を献上し、自分とユダヤ社会の安泰を計る事は、神の教えに適っているとしていました。
キリストがユダヤ教を弾劾したのは、まさしくこの利益恩寵説だった、らしいのです。実際に、当時のユダヤ人達は、現在の大資本家質と同じく?腐敗堕落していたので、信仰的にも問題があったのかも知れません。

(続く)


.. 2008年12月19日 18:11   No.418002
++ HINAKA       
(続き)

結果、キリストはローマへの納税を、拒否するという姿勢を示しました。
これが当時くすぶっていた反ローマ思想、そして貧しいが故に市民権が持てず、「奴隷」扱いを余儀なくされていた貧しい人々に、徐々に広まって行きました。
最初は、完全無視のローマ帝国だったようですが、キリスト自身が反納税運動の首謀者として告発(したのがユダヤ人?)された事により、その対処をせざるを得なくなりました。
ただ、初めに取り調べたローマの行政官は、これがユダヤ教徒と新興宗教教徒の争いである事を知り、またキリストの支持者が無視できない勢力である事も見極めた上で、軽い罰金刑で釈放します。
結果としては、これが裏目に出たようで、キリストの信者はこれを神の勝利と称え、勢いづきます。逆にそのかなり有能な行政官は、同様に賄賂も受け付けず、ユダヤ教商人達には甚だ評判の悪い行政官でした。この先は物語として、種々の展開があるので割愛し、結果として教政官が交代し、新しく赴任した行政官にユダヤ商人達は、納税拒否扇動と自分達の公正な商売の妨害という理由で、キリストを再び告発します。

新任の行政官は、土地の情勢も詳しくない上に、何を言っているのかわからないキリストの言葉に、納税拒否扇動及び正当な商取引妨害の罪で、断罪します。
ただこれは死刑ではなく、公開の鞭打ち刑だったようです。この辺の経緯も、種々在るので割愛しますが、この刑はその後、何日間かの見せしめに為の「磔」があったようです。つまり、ローマ側の記録に「キリストを死刑にした」というものは、当時の他の記録(日記等)からも見付からないようです。

当然、両手両足を十字架に釘で打ち付けたと言うのも、当時の「生きた人間の磔の刑」には見当たらず、麻縄のようなもので乱暴に縛っただけ、だったと考える人もいます。
ただし、罪を犯した犯罪者が死刑もしくは死亡していた場合の「磔」では、釘で打ち付ける事もあったようです。これは骨ごと固定しないと腐り落ちてしまうので、ある種当然の処置だったようです。

では、キリストの死因は?ですが、どうもキリストは捕らえられてから自らの教義に殉じて、ローマからの食べ物を口にしない、いわゆるハンガー・ストライキを行っていたようです。
飲まず喰わずで投獄生活を送り、自らの教義のみを口にする訳の分からない被疑者への尋問は、長く続いたのかも知れません。その結果、衰弱しきった体への鞭打ち刑と、自ら十字架(だったかどうかさえ、疑問視の声もあります)を背負って歩くという苦役の末の磔。
この結果、その死は飢えと疲労による衰弱死というのが、昨今かなり有力です。死後彼の遺体を包んだと言われる布の、手足の部分に残る血は、衰弱した皮がきつく縛られた為に破れて、滲み出たものでは無いかと……。

(続く)



.. 2008年12月19日 18:16   No.418003
++ HINAKA       
(続き)

ともかく、このキリストの死によって、彼は文字通り「神格化」され「神の子にして、予言者として」見えない神の代わりの偶像として、崇拝される事となりました。
そして、このキリスト教の教義が、皮肉な事に「神によって託された権力=王権神授説」を生み、それまで血統ではなく、実質的には選挙によって選ばれていた、ローマ皇帝の地位を、血統相続させる根拠となり、結果としてキリスト教を国教と定め、多神教を捨てたローマは瓦解への坂道を転がり落ちます。

ローマ崩壊後もキリスト教は、皮肉にもその首都ローマを根拠地に布教活動を広め、ローマの流れを汲んだ新興王国へ影響力を及ぼして行きました。
もともと、過酷な環境に耐え一族の結束を固める為に、そのトップの絶対性を認めた1信教は、独裁者もしくは一族支配に、実に都合の良い教義だったのです。そして、政教一致にすり寄ったキリスト教は、納税を「権利を神に与えられた、代行者たる王」が神に代わって、徴収するものと教え、かくして支配体系の精神的支えとして、キリスト教は全ヨーロッパへと広がったという話です。

ちなみに、キリストより遅れて誕生したモハメットは、更にそのキリスト教すら取り込んだ上で、アラブ中東圏に受け入れられやすい、新興宗教を起こします。
イスラム教の、誕生です。ローマ支配の洗礼をそれほど受けなかった地域では、生活の為の絶対手段として、やはり1信教的絶対の支配者が必要でした。さらに、遊牧の民であると同時に、有能な商人でもあったモハメットは、清貧を旨とするキリストとは異なり、商業的成功は時に武力を用いても、神の恩寵に当たる説いたようです。
どちらにしても、近代以前の中央集権と血筋による絶対王制は、「神の代理人」という形式が成り立つ1信教によって、盤石のものとなったようです。

あれ?信仰と宗教の違いから、大外れですか!?
やっぱり……自粛ですネ。
それでは、またそのうちに。


.. 2008年12月19日 18:21   No.418004
++ 多足       
で? 結局何?
辞書的な見解ってことは、これはHINAKAさんの意見なのそうでは無いの?
ホントいつも通りのパターンっすね…
「自重」だの「自粛」だの言って一時的に撤退し、何が問題だったか振り返った気配も無いままに、同じパターンの書き込みを繰り返すつもりですかそうですか。

10言いたいことがあるなら、まずそのうちの1か2を出す、または相手の意見の確認に止めてください。
それを踏まえた上で、1か2言うのを何度もに分けて、最終的に10言うようにしてください。
今回のHINAKAさんの書き込み、自分は管理人である以上読みました。が、他の誰も読まないでしょう。
ナナシ氏に感想文の押し付けしたいなら、自分のブログででもやっとくれって言われたでしょ?
空気読むとかそんなレベルの話じゃ無いんですよほんとに。

.. 2008年12月20日 14:51   No.418005


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