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HINAKAです。
多足様、皆様。
色々考えてみたのですが、ここやはりしばらく書き込みを控えるべきだと判断しました。 重要な問題は。書き込みでも特に、こちらからの「返信」に多くあるようですが、このままでは同じ問題を、繰り返しかね無いという図式が、目に浮かびます。
という訳で、この間に自らの書き込みと、それに対する皆様の反応に関して、今一度見直し省みて、改められるようで在れば、改めたいと思います。 このような対応に関して、「敵前逃亡」という印象は拭えませんが、少し冷却期間を置いた方が、自分の為と判断しました。
なお、既に明らかにしているように、長文と感想の押し付け的な表現は、その意図の有無に関わらず今後はなるべく控えるように致します。 長文は、性格的なモノがありますし(既にこの文も長い!)、押し付け云々は自覚の問題ですので、そうそう容易に改まるとも思えませんが、物は言い様で「要は表現方法の問題」と捉えています。
1番肝心な会話になっていない、という点は個人的には充分会話していると、思っているフシがあります。ですが、他の方が「なっていない」と仰る以上なっていない……のだろうと、熟考してみます。
とにかく今は何を書いても、「言い訳」にしか見えない状態ですので(自分でもそう思います)、結果として「自粛」です。 但し、飽くまで「自粛」ですので舌根の乾かぬ内に、何かに反応するかも知れません。
イマダ、ナナシ様
概ね仰っている事は理解しているつもりですが、「歴史的事象」と「その検証」には、大きな隔たりがあると思います。 大きく見れば、「歴史的事象と、それによるその後の歴史的影響力」が歴史的事象の、価値観を決めていると思います。 しかし、小さく見るとそもそもの、その「歴史的事象」そのものが何であるか!?という問題を、孕んでいると思います。 先の見方ならば、試験対策の「いい国(1192年)作ろう、鎌倉幕府」という語呂合わせに象徴されるように、年表的にその記号を覚えて、後の年表との整合性を理解しておけば良いと思います。 しかし、根本的な問題その「歴史的事象」とは、何時誰が何処で何をどうしたのか?の検証となると……「歴史の検証は、犯罪捜査に似る」という名言の通りに、非常に困難で曖昧であると思います。極論すれば、よくある「歴史ミステリ!」的に、その時その人物が本当にそんな事をしたのか!?果たして、死体は本物か?という次元にまで、はまり込むと思います。
恐いのは、歴史の「定説」です。 ですが、そこまで行かずとも、昨今の事件事故を見れば分かるように、現在ですら目撃者の物理的な視野や視力、心理的立場。さらには、証拠の解釈を巡って、あからさまな事実と思われていた事でさえ、疑われる事象が多々あります。 既に、現在においてすら、「ところで、どうしてこの人が、そんな大それた事を?本当に、この人の意志でこの人が実行したの!?」と多くの現代人ですら、首を傾げたくなる事態が、困った事に頻発しています。
歴史的事実の認識とは、本当に難しいと思います。 個人的に物語化し易いのは、あっさりフィクションと思った方が、楽で自由に想像を巡らせる事が、出来るからだと思います。 ですが、それの押し付けが在るとすると、どう考えてもおかしいです!
それでは、いずれまた!
.. 2008年12月11日 15:14 No.410001
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