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■--全体主義と、共産主義について。
++ HINAKA          

HINAKAです。

多足様

レーダーに関しては、通常航行時はイージス艦も貨物船も、大して変わりないという認識で良いのですネ?
そうなって来ると、自衛艦というある種微妙で特殊立場の船だという乗組員自身の、自覚の問題?ということになりますか……。

ところで多足様の日本全体主義体制というお話ですが、一応全体主義をファシズムと解釈しますと、日本はいわゆる恐怖政治的、警察権力国家であったことはないので……恐ろしいことに、事実です。日本は戦前戦中の暗黒時代ですら「民主的かつ、自発的に民間人が国家体制と軍部に、迎合した」のです。これってやはり、国民性?みたいなモノでしょうか……。

共産主義と全体主義は、不思議なことにそれを信奉する人々にとっては、不倶戴天の敵らしいのです。
ソ連崩壊の時、民衆が弾圧に動いた一部軍部の車両や兵士に向かい、しきりに「ファッショ!ナチズム!ゲシュタポ!!」と叫んでいたことが、印象的です。

もちろん全体主義を具現したナチス・ドイツのコミュニズム嫌いは、有名です。
ところが、歴史の皮肉はその党首たるヒトラーに、大嫌いなコミュニストの筆頭だった、当時のスターリンとの密約無くして、ポーランド侵攻はなし得ませんでした。

全体主義には、武力による体制と秩序維持が、不可欠です。
この場合、敢えて専制や独裁である必要はないのですが、必然的に人か組織の専制独裁になるようです。そして、共産主義はその原点には官僚主導も独裁も含んでいなかったのに、結果として国家体制としては、全体主義への最短距離となってしまいました。
これは現在、未だ共産主義の旗を掲げる、中国・北朝鮮・キューバなどを見ると、明らかです。原因は、ほとんどが軍事革命だったからなのですが……。

ところが日本は、明治維新という軍事革命を経て、天皇中心の専制独裁国家になるかと思いきや、明治政府中心の集団指導的疑似民主国家(貴族制とか身分制、による階級支配とは言えるのですが、その上層部の構成員達が、軍事革命の功労者であった下層階級出身者だったことが、フランスやイギリスの無血革命とは、大きく違ってしまったことです)基本的には、当時の先進国の資本主義から富国強兵策を実行することが、最重要事項だったので、思想的主義主張は後回しにされたという、世界史的にもまか不思議な国家体制と、なってしまったようです。

とにかく金を稼ぐことが、新政府の愁眉の急だった訳で、そのためには全てが後回しでした。
この辺の思想的背景から、階級制度や身分制度を打破して、新体制を作るという革命政府とは、根本的に違うものでした。結果として、概念としての社会主義や共産主義は唯一無二の国家体制(国体)としての天皇中心主義を否定するものとして、弾圧されましたが、極論すればその精神を唱えずに、経済政策だけ導入してしまうことには、何の抵抗もなかったらしいのです。

だって現代に至るまでこの国が執る、国家主導の公共事業頼みの経済政策って、共産主義国家の常套手段ではありませんか!
時代は違いますが、第2大戦前、世界恐慌の荒波を受けたアメリカのルーズベルト大統領が、有名なニュー・ディール政策を発案した時、時のアメリカ大陪審は「これは憲法違反である」という判断を、次々下したのは有名な話です。つまりこの政策は紛れもなく、社会主義・共産主義的発想だということです。

あぁ〜、また長くなり過ぎました!ここらで、今回は失礼致します。

.. 2008年03月16日 04:40   No.271001

++ 多足       
ああ、まずいな。こういう話になった以上、長文は避けれそうに無いな。もう、レスは何度かに分けるしかなさそうだ。ってことで覚悟してもらおうか!(?)

えー、まずレーダーに関する話。事故った時のイージス艦のレーダーが一般船舶と変わらんってのは、その認識でOKです。ただ、「自衛艦というある種微妙で特殊立場の船だという乗組員自身の、自覚の問題」という表現にはひっかかります。自覚が重要なのは軍用艦艇に限った話ではなく、明石海峡での事故の件でもわかるように、全ての艦艇、また、艦艇に限らずあらゆるシステムを扱う上で重要な話なんで、自衛艦を特別視するのは間違いです。こうやって今、誰でも閲覧できる掲示板に書き込んでいることにも自覚が必要、という点では変わりはありません。あと余談ながら、明石海峡の事故の報道が、ほんの数日で終わってることも、日本のメディアや国民の興味の方向というものを考える上で非常に印象的な事態です。

さて、話を当スレッドの本題に戻しましょう。自分が日本を全体主義的だと感じる理由を順を追って説明しましょうか。
まず全体主義という言葉の意味するところ。一般の印象としては「全体主義=ファシズム」、よって「悪い体制」という感じでしょうか。では本来「全体主義」とは? 自分の理解では、全体主義とは、組織全体(この場合国家)の利益のために、個の利益が多少損なわれても構わないという発想。つまり、「お国の為」、「国体」というお題目を掲げて、個人の財産・権利を没収、もしくは供与するようしむける体制のこと、と考えています。これは、国家というか組織というものにとって、全くもって完璧に理想的な状態です。全ての国家の理想は全体主義です。
では、国家とは? 人の集まりの最大単位の一つですね。より言うならば、権益の単位です。ある権益、例えばある地域の利権を守る為、その地域の人間を取りまとめて、その権益のため組織化されたものが国家。
で、その国家という組織を運用するのが「体制」。体制ってのは、個の集まりを代表する者たちの集まり。その代表を選ぶ方法は、まず物理的に強い者が代表となる、というもの。軍部のクーデターが解り易いですが、軍部に反発した民間人の集まりによる革命も、「物理的に強い者の代表」という点では変わりません。
で、別の段階で選ばれる代表ってのが投票や推薦によるもの。これを「民主主義」と言えば聞こえが良くなりますが、その実態は怪しいモノです。「民主主義」という名前を冠した半島の北側の国では、「国民の支持を得て」現在の独裁体制が築かれています。
選挙の投票所に政権側の兵士が銃持って立ってれば、「民主的に」政権側が選ばれるでしょう。日本も似たようなものです。アメリカも。要は、生活という人質をとって与党に投票させるわけです。
つまり国家を運営する代表、というものは選挙で選ばれようがクーデターだろうが革命だろうが、「個人の主張の代表」ではなく、「ある権益の代表」なわけです。

.. 2008年03月17日 11:23   No.271002
++ 多足       
さて、国家という権益の塊を運営する方法について。そこで出てくるのが共産主義や資本主義。共産主義の理想とするトコロは、権益を各個人に平等に配布する、というもの。これを成し遂げた国家はおそらく世界史上皆無なのではないでしょうか。いや、皆無は言い過ぎか。権益を構成する個人が少ない場合、これは可能です。しかし構成する「個」が多くなると分け前が減り、また、個人がいくら頑張っても「平等」である以上、サボってる個人と同じ分け前になり、これは人間という生物には納得できない状態になります。分けることのできる権益が多い間は良いんだけども。結局、ソビエトは帝政ロシアの権益を使い潰して時間切れを迎えたわけでして。中国は言うにおよばず、「富裕層」とか「貧困層」とかいう言葉が出てる段階ですでに共産主義の理念に反するものです。
共産主義、社会主義を維持するには強力な統制が必要であり、結果として武力による弾圧という形になり易いです。そうならないよう、個と個を調停しながら権益の配分というものを進めてたのが自主管理型社会主義のユーゴスラビア。これも個の調停を出来ていた指導者の死によって崩壊しましたが。
んで、資本主義。これはわかりやすく権益を奪い合うモノです。当然勝ち負けによる格差が生じるため、負け組の不満を国家が調停しなければなりません。
さて、共産主義にしろ資本主義にしろ、どこかで歪が生じ、それを解消するために国家が動かないといけませんよね。しかし権益の代表である国家というものは、基本的に権益の味方でしかなく、個人の味方には成り得ません。ではどうするか? 何か大義名分を立て、国民の不満を逸らす方法を考えるわけです。そこで解り易いのが「みんなのため」という言葉。道路工事の際の強制執行による立ち退きが一番わかり易いんじゃないでしょうか。ある幹線道路を拡張したい。そのために用地を買収するわけですが、金の問題じゃ無く立ち退きを拒否する人もいます。その場合、その人の家の手前まで道を拡張し、その人の土地がある部分だけ道は以前のまま、そしてまたその土地を過ぎれば道が広くなる。と、なると、道を利用している人達のほとんどが「あの家が邪魔」と感じるようになりますよね? これがつまり「個人の財産・権利を没収、もしくは供与するようしむける」ということ。多少の金は払っても、個人の主張は全体の権益というお題目の前ではかき消されてしまいます。「全体主義」と言えませんか?
これは公共事業全般に言えることです。っつーか「公共事業」って言葉そのものが非常に全体主義的な響きを感じますけど(笑) 公共事業によって得られた利益、その恩恵を最も享受できるのは国家という権益を支える企業であり、個人はそのおこぼれを拾うだけですから。あからさまにやると反発を買う。だから、なにか大義名分を立てて権益を守り育てる。今の日本はホントこんな感じでしょう。

.. 2008年03月17日 12:15   No.271003
++ 多足       
全体主義というものは、権益を運営する側にとっては非常に好都合です。なんせお題目掲げることでいくらでも個からの搾取が出来ますから。
「自由と民主主義」を掲げるアメリカも、全体主義国家的な側面が強いです。911以降の動きが解り易いですね。アメリカの場合、民意の誘導というものが非常に巧妙になっています。映画は特にそれが顕著ですね。映画業界が政府の意向を反映して民意を誘導するというのは20世紀初頭からず〜〜〜〜〜〜っと続いてます。ベトナム戦争以降、さらに巧妙になったかなあ。
また、アメリカが「自由と民主主義」をお題目に、「自らの権益に有利な市場」を求めているだけってのはHINAKAさんなら十分ご理解いただけると思います。別にその国の政府がどんだけ住民を弾圧しようが、世襲制の腐った体制であろうが、アメリカの企業が進出できればそれで良いだけですから。「民主主義」という言葉は大義名分として使われるのみであり、「資本主義」を誤魔化す為の「自由主義」などと言う言葉には反吐が出ます。
さて、次に「ファシズム」という言葉について。非常に悪い印象を持たれていますが、ムッソリーニもヒトラーもフランコも、民衆の支持を得て政権に就いています。フランコは知らんけど、ヒトラーは合法的な「民主的な」選挙で政権に就き、ムッソリーニも選挙に勝って登場し、国民の支持を得たローマ進軍によって大きくなってますから。国民はそれをもろ手を挙げて歓迎し、踊り、現実から目を背けたまま破滅していっただけです。HINAKAさんの言う通り、日本も同じです。その過程において、国民の熱狂をコントロール出来ず走り続け、結果外圧によってようやく目を覚ます(覚ました…かな?)あたり、いかにも「日本的」ですが(苦笑)
単純に、ファシズムという言葉が今悪い印象与えるのは「負け組み」だから、というだけの話です。特にロシアの場合、国土を戦場にし数千万の犠牲者出してますから、武力による鎮圧を指して「ファシスト!」という文句が出るのはごく自然なものでして。治安組織による住民の鎮圧は、別にファシズムの必須条件ではありません。結果論です。あと印象論です。失礼ながら、どーもHINAKAさんの発言は要所要所に印象論が強く出過ぎるきらいがありまして。そのへんがつかじさんとかに突っ込まれる所以かな、と(苦笑)
国家にとって、理想的な状態である全体主義を維持するには、戦時中の挙国一致体制のようなあからさまなものだと長続きしないんで、巧妙に隠す必要があります。アメリカはそれが巧い。日本はあまり巧くないけど、国民性のお陰で維持できてる。ロシアは強力な指導者を好む国民性で巧くいってる。中国はなんか破綻しそう。
ま、そんな感じ。

.. 2008年03月17日 13:18   No.271004
++ HINAKA       
HINAKAです。

多足様

間違っても、多足様の揚げ足を取ろうとかとか、そう言うんじゃないんで、単なる形式論です。

実は前述の共産主義の違いと、全体主義の違い、を書き込んだ後、ハテ?と、引っ掛かったのです。でまァ、経緯は省きますが、慌てて(と言っても現在の体調では、ノロノロですが……)調べ回った結果、重要なポイントをやはり落としていました。

基本的に全体主義がファシズムという考えは間違ってはいないけれども、いわゆる狭義で、(軍事)独裁制つまり、つまり力を持って全体を統一する場合に限るという条件付きだた訳です。
でもって、ややこしいのは、本来共産主義というのは、経済政策の革命的転換として、提出された考えで、基本的には政治体制の変更まで含んでいるものでは、なかった!

広い意味では、独裁も全員一致以外の民主制も、政治体制としては全体主義だと考える、多足様の意見が完全正しい!ということです。
民主主義も少数意見の尊重、即ち多数決と言う時点で、全体のために個や少数の犠牲を、表明しています。そして、その体制を維持するために権力(軍事・警察)を使えば、立派な全体主義国家です。

中央集権的な近世国家の体制は、広い意味では全て、全体主義と呼んでいいそうです。
問題の共産主義は、これも多足様の言われる通り、まず経済体制の問題であり、その特徴は「富の再分配、収入による階級格差の廃止」が目的でした。基本的には、金持ちが貧民に施すのではなく、貧民階級の収入を底上げし、事実上階級格差を無くそうというのが、その目的です。

で、この間の共産主義の解釈の問題や、社会体制に取り込む際の軋轢などは、全部すっ飛ばして個人的な見解を述べさせていただくと。
明治維新後の日本は、その模範を当時の近代西洋諸国に求めた結果、必然的に中間層の底上げという、経済政策を採らざるを得なくなってしまった。富国強兵策というのは、もちろん資本家をより肥え太らせる結果になりましたが、同時に中間層の収入や教育水準の向上という、低収入層の底上げにも、反映しました。

この辺の経済政策を指して、戦前から日本が共産主義国家であるという指摘は、特に階級差別の激しい先進国からよく成されました。
そして戦後の日本の経済政策もまた、名前と目的は違えでもやり方は同じです。いわゆる高度経済成長、それを裏付ける「所得倍増計画」を、共産的と称しても何の問題も起きないでしょう。

かくして日本の、見えない共産主義経済は成功し、総中流時代が訪れ、日本は繁栄を謳歌した訳です。
錯覚ではあったのですが、総中流意識は収入による階級制度が無いという、幻想を生みました。ですが、その夢はもろくも崩れ去り、確固たる格差社会が誕生した訳です。

もはやここまでうまく、経済の共産制を成功させて来た方法は効果が無く、新しい方法を模索しなくてはならないのですが、その方法が見付からないという状態です。
つまり明治以降、実に経済的には巧みに、一時軍部の独走により、混乱はしましたが日本を支えて来た共産主義的経済政策は、今崩壊しようとしていると思います。
政治体型としての全体主義の枠組みは、日本の場合容易に崩れそうにはありませんし、近代国家は皆そうでしょう。

方法は、より全体主義的に強固になるか、緩めて地方分権的に経済政策も分散するかですが……どちらも、地獄という感は否めません。

一種の、修正意見ですが、いかがでしょうか?


.. 2008年03月17日 20:02   No.271005
++ 多足       
なんかこういう書き方すると目上から見下ろして評価してるみたいでアレなんですが(苦笑)、大変よく纏まったご意見になったかと。
あとは「全体主義」という言葉と「ファシズム」を使い分けた方がよろしいかと。「体制を維持するために権力(軍事・警察)を使えば」ファシズム呼ばわりされやすいですよね。まあしかしこれは「ファシズム」をもう少し掘り下げて考えればよろしいかと。ファシズムの大きな特徴はその排他性でして、主に民族意識からくるものです。が、しかしこの民族意識だって所詮は利権云々でしかないわけで。それはともかく、民族的に排他的になれば当然異民族の排斥、さらに進めば民族浄化って話になってしまうわけで、その過程で必然的に軍、官憲が力を振るう、ということ。つまり、これって直接的には経済体制の話とは違ってきますよね。
全体主義的な国家運営を行う上で、不満のはけ口を排他性に求めたのがファシズム、と考えるといいのかも。

さて、日本の中間層の成長に関して。これを「共産主義的だ」とケチつけるのは、要するに資本家が自分らの権益削られたくないから、というだけの話でしょう。
企業の収益が減ってきた場合、資本家がまず考えるのは人件費の削減。これってつまり、資本家は現状の利益を維持したい、でもそれだと企業が成り立たない、じゃあ低層にしわ寄せをしよう、という考え方で、人類の歴史上のほとんどの時期がこれにあたります。資産家は決して冨を手放そうとはしないの。
ところが、例えば西欧から昔の、HINAKAさん指摘の時期の日本を見れば、資産家と一緒に中間層が育った、つまり中間層にも利益がまわった(そりゃ差は大きいけど)。となると、自分らの国の中間層がそれ見て「ウチの中間層も上げろや」と言いかねない。そしたら資本家の利益が減る。そこで論理のすり替えをして、「このアカの手先め!」みたいな(笑)非難をするわけです。
なので、「共産主義的経済体制」という表現は、いささか資本家による論理のすり替えの影響が出てるかな? と感じてしまうのです、ハイ。

で、日本の現状打開。一度リセットする意味でニューディール政策も悪くないかな、と感じてたり(笑)
実際、儲かってる中央から厳しい地方に権益を分配しないと、格差の拡大は進む一方だと思いますが。


.. 2008年03月18日 11:50   No.271006
++ はっしー       
ここで、雑記帳の出番と思うのは、当方だけでしょうか?
もしくは、映画のレビューのように姉妹?登場!
眼鏡さん・・・多足様
妹(?)・・・HINAKA様
で。

.. 2008年03月18日 14:52   No.271007
++ イマダ ナナシ       
 うーん、(1)マルクス経済学に基づいた共産主義型の公共事業と、(2)ケインズ経済学に基づいたニューディール型の公共事業に関して、基礎概念に対する見過ごせない誤解が何点かあったので、専門家(まじ)として横レス。

 結論からいうと、両者はまったくの別物です。マルクス経済学は市場をまったく信頼していないけど、ケインズ経済学のほうは市場を基本的には信頼している。このせいで、労働者の賃金の受け取りに関する理論の差がでてきて、そこから出される処方箋(公共事業)の差が現れてくるのですよ。

(1)マルクス経済学
 マルクス経済学をいろいろとはしょって述べれば、商品の価値はそれを作るのに必要な労働量の価値と等しい。労働価値説というやつである。商品の価値と投下された労働力が等しいのであるから、商品の販売による収入はすべて賃金へと転化され、資本家が利潤などというものを受け取る余地はない。

 で、あるのに、資本化は利潤を受け取っている。なぜ、資本家は利潤を受け取れるのか?
 その理由は、労働者が本来受け取れるはずの賃金を受け取れていないからである。そう、搾取というやつだ。
つまり、マルクス経済学によれば、資本家の利潤は労働者の一方的犠牲によって生み出されている。そして、マルクス経済学によれば、利潤(=搾取のゆるぎない証拠)は、市場における労働者の不利な状況によりもたらされる。
 というのは、頼るべき資産を持たない労働者は、自己の労働以外に何も市場で売るものをもたない。そのような、何ももたない労働者は、当然、労働を売ること(資本家の下で働くこと)によってしか生計を立てられない。もし、労働を売ることができなければ(失業すれば)生きていけない。
 そこで、資本家は労働者の足元を見、本来の取り分以下の賃金で労働者に労働を買い取る契約を提示する。労働者は、生きていくために仕方がなく、その賃金を受け入れざるを得ない。市場による自由な取引は、労働者に自己の取り分以下の賃金での契約を半強制する。(マルクス経済学──というよりも、ケインズ以前の経済学──の世界では、失業者は存在しない。なぜなら、労働者は失業したとたんに、飢えて死んでしまうからw)

 では、労働者が本来どおりの賃金を受け取るためには、どうすればよいか?
 答えは簡単だ。市場を否定し、世界から豚どもを駆逐すればよい。
 だが、ここで、問題が発生する。自分が一人で必要なものをすべて生産する自給自足経済よりも、社会的分業をおこない、各々が自分の専門とするものを生産する方が物質的には豊かである。市場におのおのが自己の専門的生産物を持ち込むことによって、社会的分業システムはなりたってきた。
 だが、市場を否定するということは、市場による財の分配システムを否定するということである。市場に変わる分配システムを考案しなければならない。
どうすればよいか?
 豚どもの代わりに、すべてを労働者が管理すればよいのだ。

 すべての生産の果実をいったん中央に集め、それを各労働者に平等に分配するという国家システムを作り上げれば、労働者は自分の労働の果実をすべて受け取ることができる。もちろん、その国家システムは、労働者自身が運営しなければならない。(で、まぁ、それができるのは前衛政党である共産党だけw)

 というわけで、マルクス経済学的というか、共産主義的な経済社会では、すべての経済部門が国家セクターの下に置かれる。民間企業などは存在せず、公企業しか存在しない。いってみれば、公共事業しかない世界になる。

.. 2008年03月18日 20:23   No.271008
++ イマダ ナナシ       
(2)ケインズ経済学
 ケインズ経済学では、市場における自由な取引の結果、労働者は自己の労働の成果をきちんと受け取っている。企業(資本家ではない)の利潤は、労働者の搾取が原因ではない。このへんは、ケインズが否定しようとした(現在も主流の)新古典派経済学も変わりない。(今の経済学では、資本家と労働者とう区分は存在しない。いまだに、資本家と労働者がどうのこうのとか書いてある経済学のテキストは、マルクス経済学の残党が書いた、胡散臭いテキストw)

 ケインズ経済学が問題とするのは、なぜ、失業が存在するかのメカニズムの解明である。

 そのメカニズムのキーとなるのが消費関数である。消費者の消費は、所得に影響される部分と所得に影響されない基礎部分から成り立っている。ケインズ経済学では、失業の原因を、経済全体の所得に影響されない基礎消費部分が低いためであると考える。

 失業を取り除くためには、どうすればよいか?
 公共事業をおこない、基礎消費を増やせばよいのである。不況期には、国債の発行をおこない、公共事業で基礎消費を増加する。不況期に発生した財政赤字は、好況期に緊縮的な財政を行い、補填すればよい。
 公共事業の内容は、何でもよいといえばなんでもよいのだが、できればインフラ整備に回したほうがよい。なぜならば、社会全体の生産性が増すからである。完全雇用、物価一定を想定した場合、生産性の高い方が国民所得(≒GDP)が高くなるからだ。(わが国の財政法では、財政赤字を補填する赤字国債の発行は禁止されている。だが、赤字国債の例外として、公共工事に関わる建設国債の発行が認められている。これは、上記の理由からである。)

 というわけで、ケインズ的、ニューディール的な公共事業は、理論的には所得の再分配思想無しにおこなわれるものである。現在の公共事業に、所得再分配機能がないわけではないが、それは、担税能力により税負担が決定されるという応能原則に基づいた累進課税制度のためである。もし、まったく所得に関係ないフラットな税制制度をおこなったとしても、ケインズ的な公共事業は成り立つ。

 ケインズ的世界観における所得再分配をあえていうとするならば、それは、現在と将来との間でおこなわれる再分配である。つまり、現在における直接的再分配を内容とする共産主義的な考え方とはまったくちがうのである。


 つーわけで、久方ぶりのレスをしてみた。
 (途中、言葉遣いが論文的なのは、仕様ですw)

.. 2008年03月18日 20:20   No.271010
++ HINAKA       
HINAKAです。

多足様。

えっと、基本的にこの問題は「日本は成功した共産主義国家だ!」という個人的な意見に対して、多足様が「全体主義なら分かるんですけど」と返されたことが始まりです。
で、なぜ自分が「日本は共産主義国家」だと言う意見を述べたのかという理由を、まァ専門的ではないにしても、おおよその枠組みで説明しました。

ですが、肝心なことは「共産主義も全体主義と言えるのではないか?」というか、そもそも近代国家の枠組み全てが、全体主義的であるという多足様の意見に異論無しという事でした。

まァ、狭義の意味では「全体主義とはファシズムの事」という点があるということは、確認させていただきましたが……。
その上で補完として、共産主義経済と近代日本の経済体制の類似点と思えるものを、上げておきました。ただここで致命的な、見落としがありました。

共産主義経済の原点には、全産業の公有化と私有財産を認めないという点が重要であり、それに対する言及が抜けていました。
実は、戦前戦後を通じて、日本の経済政策は資本主義でありながら、巧みにこの私有事業の国営化と私有財産の税という名の搾取を、続けている実績があります。
そもそも日本の市場経済が、国際的に認められたの近年のことで、極論すれば日本市場は長く国際的には、認められる水準に達していなかった(多分に、差別的な点もありますが、インサイダー取り引き等に見られる法の不整備など)。

これらの点がスッポリ抜けていたことは、自説の説明としては不充分であったと思います。

その上で、専門的な見解に対する、根本的な疑問なのですが、「全体主義の経済体制って、どんなものなの?」という素朴な問題が残ってています。
というか、近代国家の政治体制がすべからく全体主義的というのであれば、そもそもの経済問題の発端が意味を失うということに、今さらながら気が付きました。

ということで、議論のキッカケを作った当事者としては、実に不本意な結論しでしかない気がしますが、いかがでしょうか?

.. 2008年03月19日 04:29   No.271011
++ つかじ       
今回は正直「難しいので手が出せない・日本の事を何だかんだ言っても好きである」って理由で敢えて主義主張の意見はだしません。
まぁ一服の休憩と思って下さい。

何々主義だろうと、何国家であろうと。
「パンが無ぇならケーキ食え!」とポロっとKY発言しちゃったら国家崩壊の引き金とか。
どんなに豪華な大理石の豪邸を建て様が、引き連られてパーンと撃たれりゃそれで御仕舞い。

でも、結局は人間が変わるだけで急には何もかも変わらんよ〜。

地方云々に関しては。正直格差が広がったのは例のライオンの「地方への財源移譲」が大きな引き金だったかな?そのフォローとして、地方交付税のあり方を議論が十分じゃなかったのが致命的だったね。

まぁ何にしても「国家が何やろうと文句言うだけ」の国民なのだから平和だよねぇ〜。
だからと言って暴動を起こせって訳ではない。

.. 2008年03月19日 06:20   No.271012
++ イマダ ナナシ       
 うーん・・・。多足氏と似た様な感想だけれども、HINAKA氏は、はじめに結論を用意しておいて、それを証明しようと、聞きかじりの知識と印象論に基づいて断言した前提条件で、議論をおこなってるというように感じるんですよね・・・。

 HINAKA氏の「日本は成功した共産主義国家」であるという主張の証明の仕方も、どうも、

(1)共産主義は、全体主義に含まれる一概念である。
(2)日本は、全体主義国家である。
(3)全体主義の中に共産主義は含まれているので、日本は共産主義国家である。

 という、かなり無茶な論理で展開されてるし。
 たとえてみれば、

(A)女は、人間にふくまれる。
(B)男は、人間である。
(C)人間に女は含まれているので、女は男である。

 というかんじに無理な結論ですよ。




 で、「全体主義の経済体制って、どんなもの?」ということですが、「近代国家の政治体制がすべからく全体主義」というあたりで前提(あるいは、結論)についていけない疑問です。
 
 経済制度の構築は技術論的な側面があります。今、経済制度に対する古典的な対立軸を持ち出して、

 α)市場の自由に任しておいたほうが、保護のぬるま湯に浸かっているよりも、競争の結果、産業は成長する。したがって、一国全体の利益が増す=自由放任主義
 β)競争にさらさず、国家の保護により産業を育成したほうが、市場の自由に任していたよりも速やかに産業が成長する。つまり、自由放任主義より、一国全体の利益は増す。=保護主義

という、2者の経済体制を考えて見ましょう。
 どちらが正しいかはおいといて、共に、最終的には、全体の利益となるという結論を用意してます。で、あるから、保護主義も自由放任主義も、全体主義と呼ぶことは(適切な呼び方ではないが)できなくはない。できなくはないけれども、じゃあ、どちらも同じ経済体制かというと、そうではない。経済体制としては、まったくの別物なわけです。



 どうも、HINAKA氏と多足氏の意見を総合しちゃうと、あらゆる経済体制は、全体主義的なものであるから同一であるという誤った結論が出てしまう危惧があるので、突っ込んだわけです。

.. 2008年03月19日 15:27   No.271013
++ 多足       
登場を期待していたナナシ氏の出現により、話が専門的になってきていい感じであると同時に、用語面で少々問題も出てきたかな?
HINAKAさんの言う「全体主義とはファシズムの事」には賛同しかねるのです。自分の言う全体主義ってのはあくまでも「全体(国)の利益のためには個の利益は後回し」っていう考え方。これは国家にとって非常に都合が良い、指導者側から見れば理想的、というだけの話で、決して「近代国家の政治体制がすべからく全体主義」と思ってるわけでは… 無いとは言い切れない。しかしそれはあくまでも「統治の方法、結果」として、権益を中央が独占する、独占したい、という話でして、経済活動のシステム自体を指しての話ではないんですよ。自由市場体制だろうが、労働にのみ価値を見出すシステムだろうが、共産主義的な冨の配布だろうが、どんなシステムでも、結果的に一部の統治者・支配階級が安定して冨を得るようになってる、という話。支配階級に都合が良いように法律を整備し、被搾取側の不満をそらす方法を考え、印象操作を行う、というのが自分の考え。つまりこれって本来の意味での全体主義とも少々異なる、単なる独占欲の話です。それを行使する手段としての国家運営を指して「全体主義的」と言ってる。われながら極論だとは思いますが(苦笑)
この状況を打破する上で、「ニューディール」ってのを持ち出したわけでして、これは説明不足でしたね、すみません。ニューディ−ルって言葉に、再配分って意味合いがあるって話をどこぞで聞いてたその印象でポロっと書いてしまった感があり反省しております。
つまり何が言いたかったかというと、日本の場合都市部が儲かり地方が廃れる、という状況。ならば、都市部で儲かってる利益を一旦全国的に再配分してスタートし直した方が良いのでは? という話。これって地方交付金云々の話になってしまいますが、それよりももっと極端な、非現実的な話です。権益を平均化し、一旦全国に配分する。そっからまた競争なりなんなりすればよろしいっていうことです。基礎工業力や地方の産業特性、人口になどによりまた差は出てくるでしょうが、それは自然の状態に戻るようなものです。物価の高い都市部で頑張って儲けたのに、それが各地に持ってかれるのが嫌なら、物価の安い地方に行けばいいじゃねーかというだけのこと。その影響で倒産する企業や職を失う労働者のことを全然考えてない暴論でございます。しかし、その辺はもっと詳しく検討するとして、やってみる価値はあるんじゃないかと思うんですよ。
日本人に「日本の中心(地理的な話でなく)はどこか?」と聞けば皆東京と答えるでしょうが、アメリカならワシントンかニューヨークか、それとも??? と意見が分かれるんじゃないでしょうか。日本は東京に産業、行政すべてが集中し過ぎてる。それが非常に不安なのです。

.. 2008年03月24日 08:41   No.271014
++ 多足       
付記。ながらも結構重要な話なんでHINAKAさん、しっかり読んでください。失礼ながらちょっとキツ目です、スンマセン。
話の本筋以前に問題なのが、ナナシ氏が指摘するHINAKAさんの姿勢なわけです。つまり「はじめに結論を用意しておいて、それを証明しようと、聞きかじりの知識と印象論に基づいて断言した前提条件で、議論をおこなってる」という点。これがつかじさんが感じる不満の正体なんじゃないかと。自分も少なからず、いや、かなりそう感じてます。議論の中で年下の人間三人にこう思われる節が結構ある、ということを重く受け止めて欲しいのです、文章書きの人なんだし。
馬鹿マスコミがよく、専門家を連れてきて発言させ、マスコミにとって都合の良い部分だけ切り取ってマスコミ側の意見を補強する、ということが非常に多いです。それに近いんですよ。イージス艦のレーダーの話で、自分が何度も何度も訂正を求めたのは、HINAKAさんが考えてることを補強する意見として自分の見解が利用されるのが嫌だったからです。いや、レーダーの件に関しては疑問に答える、という形式だったから問題ないんですが、自衛隊の態度云々ではかなり酷かったんで。
議論ってのは、論理と論理をぶつけて双方の理を突き詰め、互いの理の長所短所から、理論的に納得できる落とし処を探ってこそ意味があるわけでして、ボールのぶつけ合いでは無いと考えてます。ボール投げあい、受け止めてくうちにボールの形が変わっていくってのが最も理想的かな、と。自分自身その理想形には程遠い自覚はあります。ボール投げても返ってこないって人が多い中、ちゃんと返してくれるHINAKAさんは大歓迎なんですよ。しばしば違うボールが返ってきますが(笑) しかし、ナナシ氏が指摘した違和感に関して、ちょっと振り返って考えていただけたら、と思ってます。
スンマセン、偉そうで(苦笑)

.. 2008年03月24日 08:58   No.271015
++ つかじ       
>HINAKAさんへ
え〜っとまずは質問。
この議論の結論てどうつけるのでしょうか?
ちょっと終わりが見えない。

また、HINAKAさんが共産党をご支持するのは良いのですが。仮にも日本は民主国家。
背景は何であれ、「日本は共産主義だ」と結論付けて言うのは御免被りたい。
僕は共産党が大嫌いです。日本の国防を軽んじて来た癖に、都合の良い時だけ顎で使う姿勢に納得が行かないからです。同様の理由で民主党も嫌い。

そもそも、日本は共産主義と冷戦構造に組み込まれていたし、共産主義者共に酷い目に合わされても来た。(僕の身内はシベリア抑留者)
やはり、例え構造が「そう見えようと」「共産だと断言」されるのは良く思えません。

また、イマダさんが指摘された点は非常に的を得た物と思います。それが前回の僕のレスの答えとさせて頂きます。ある意味これで問題は解決へと向かって行くと願っています。

>多足さんへ
先にカキコされてある、「地方への分配」「日本の中心は東京」の意見に賛同です。
この分配に関してはつい最近でも「東京・大阪」両知事のコメントがありましたね。でも、必要な事でもあると思います。実際、東京と地方では生活レベルが違い過ぎます。特に物価!これは致命的かと思われます。
(ちなみに地元駐車場、5百円24時間)

また「中心」では、軍事的にも狙われ易い環境ですね。一発で終わり。ジャブローも目立ち過ぎる拠点だから狙われたしね!
今の所の候補としては「那須」「岐阜」ですかね?

.. 2008年03月26日 06:57   No.271016
++ 多足       
う〜む、結論かあ。
「日本が共産主義国家か否か?」がスタートであるならば、賛成1、反対3って感じになってるんで、その反対意見3に対して賛成意見1の方が納得できるかどうか、というのが結論… と見るのもちと短絡的、というか二者択一ってのはあまり好きじゃない。
ちなみに、日本が共産主義か否かを論ずる上で、個人的には民主主義かどーかは関係ないと考えてます。共産党政権は基本的に一党独裁で党内で決まった偉いサンが権力振るい続けてますが、政治概念としての共産主義ってのは、別に民主主義に反するものでもないというのが自分の考えです。民主的な選挙で選ばれた役員による共産主義も、理論的には可能なんだと思ってますが、それが現実として無いってのは… 共産主義のシステム的にやっぱ何か大きな矛盾があるってことかなあ?

地方云々に関しては… いっそのこと地方分権スレでも立ち上げますか?(笑)

.. 2008年03月26日 09:32   No.271017
++ つかじ       
>多足さんへ
なる程、今回はちょっと僕の勇み足もあった感がありますかな?

ちょっと個人色だしちゃったか。だとしたらスマソですね。でも、やはり日本を赤とされるのは嫌だな。
ちなみに「某とっつぁん」は熱狂的な共産党支持者だそうで(汗)

所で「台湾」国民党が取りましたね。まぁ殆ど自滅に近い陳政権の後では辛過ぎましたね。
個人的には台湾の軍事がどうなるかが不安。
米国がどうでるのかが注目ですね。

前にもカキコしましたが、台湾は「若者は台湾を重視しつつも、中国との争いはごめん」。
「お歳よりは、台湾は台湾と認めつつも中国の懐かしさは消えない。でも中国は怖い」との事。
まぁどっちにしろ、もう「台湾」と言う地域自体は何らかの形で「独立」か「自治州」で決まりでしょう。「合併」となると流石に米国・欧州が黙っていない。この辺りは武器供与や中国海軍の進出限界点の拡大・政治バランスで一悶着あるでしょう!!って言うか約10年程前にも前にも合ったしね〜。

.. 2008年03月26日 10:35   No.271018
++ 多足       
台湾も韓国も、あとアメリカはどうなるか? とにかく、政権交代が現実的に起こりうる政治体系は羨ましいですねえ。日本は… 野党に腐れ野党根性が染み付き過ぎてるからなあ。
ハァ… 民主党にはがっかりだよ。

で、台湾。
現状維持、というのがホント現実的なんですが、それだと長期的戦略といえるかどうか。いつまでも、今の情勢が続くわけではないから、統一なり独立なり自治州なり、目標を決めとかないと厄介ですね。
個人的になって欲しい状態ってのは中国共産党の支配力低下による大陸での分裂、それに伴った台湾の独立なんですが、世界的な影響が凄いことになりそうだ(笑)

.. 2008年03月27日 11:53   No.271019


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